チベット

なぜ中国はチベットの独立を認めないのか

チベットは中国の東西国境地区の平均 4000 メートルを越す高原地帯で、人口約 220 万人のうちチベット人が 90% を占める。現在チベット自治区として中国の一部となっている。チベットの人々はチベット語を話し、チベット仏教を信仰し、漢族と明らかに異なる文化をもっている。

1950 年代末からチベットの独立運動はさかんになったが、中国はチベットの分離独立を認めようとはしない。国際社会が非難しても、内政問題として諸外国の声に耳をかさない。それは、もし中国政府に対する反発が最も強いチベットの独立を認めれば、他の少数民族の自立の動きが高まると考えているからである。

中国とチベットの独立をめぐる戦い

チベットではチベット仏教(ラマ教)の指導者であるダライ・ラマのもと、第二次世界大戦後まで事実上の独立状態を保ってきた。しかし、1950 年中国の人民解放軍が進駐し、翌年チベットの中国帰属と封建農奴体制からの緩やかな改革などをもりこんだ平和解放協定が結ばれた。59 年、人民公社運動の強行などによって権利喪失を恐れるチベット貴族と僧侶の一部がダライ・ラマ 14 世を指導者として大規模な武装蜂起を起こしたが、これは鎮圧され、ダライ・ラマ 14 世はインドで亡命政権を樹立することとなる。

中国政府はこの事件をきっかけにチベットにおける改革(農奴解放・土地改革など)をスピードアップし、65 年にチベット自治区を成立。66 年からの文革では寺院や仏像の大規模破壊など、ラマ教への弾圧を強めたため、チベット人の不満は著しく高まった。

80 年代に入ってからは、従来の政策を寺院の復興や宗教活動の自由、チベット人の幹部登用など柔軟政策に転換し、84 年からはチベットの観光解放で経済の振興もはかられた。しかしながら、長年にわたる弾圧によって蓄積されたチベット人の不満は解消されるわけもなく、80 年代後半からは独立を求める暴動が頻繁に起きている。また、インドへ亡命したダライ・ラマ 14 世は海外で積極的に独立運動を行っており、89 年にはその非暴力の活動が評価されノーベル平和賞を受賞した。

チベット独立問題の今

チベット問題に対する国際的関心が強まる中、中国は依然内政干渉であると反発。チベット解放 40 周年にあたる 91 年には解放の成果を強調するキャンペーンを行うなど、現在も対決姿勢を崩していない。

さらに、中国側がダライ・ラマと並ぶもう一方の活仏であるパンチェン・ラマを選んだことで、この問題も複雑化しそうな気配である。

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