ルワンダ内戦

少数民族ツチ VS 多数派民族フツ

アフリカのルワンダは少数派(15%)のツチ族が多数派(85%)のフツ族を支配する国である。

ルワンダには 15 世紀以前からツチ、フツ、トゥワと呼ばれる言語、習慣などがまったく同じ 3 民族がいた。ツチとフツの起源については諸説あるが、一般にツチ族はナイル系北方牧畜民が移動して定住したものであり、フツ族はバンツー系の農耕民として先住していたとされており、両民族に明確な差異はない。今世紀初頭までは両者に王政があり小集落を族長が統治してきたが、ルワンダを信託統治していたベルギー政府はフツ族長の多くをツチに変え、国勢調査を行い住民をフツ・ツチ・トゥワのに 3 分割した。

ベルギーの信託統治領であったが、59 年にツチ族の有力な王ムワミが亡くなったことによって内乱が起こり、多数派のフツ族が政権を握った。62 年にはベルギーから独立しルワンダ共和国をたて王政を廃した。これに対し、ブルンジに避難していたツチの首長が63年反攻に出たため、報復として政府は国内にいるツチを虐殺。犠牲者は 2 万人ともいわおり、その後ツチ族は大量の難民となってツチ族支配の続くブルンジやウガンダなどの周辺諸国へ流出した。

こうして 1960 年代から 70 年代にかけて、ツチはスケープゴートとされ、国民の大半が住む農村部でツチ系住民の虐殺が行われた。73 年に実権を握ったフツ系のハビャリマナ・ルワンダ大統領はツチ住民への弾圧を強め、国民にツチ憎悪と部族意識をうえつけていった。

この後ツチの反撃が始まる。90 年にウガンダでツチ族主体のゲリラ組織、ルワンダ愛国戦線(FRP)を創設し、政府と多数の死者を出す内戦を繰り広げ、94 年 FRP が首都に侵攻し、ツチ族が政権を奪回したのである。

大量虐殺

この過程においてもっともショッキングな出来事は、94 年大統領が暗殺されたのをきっかけにしたフツ族民兵によるツチ住民と穏健派フツ族の大量虐殺(ホロコースト)である。

彼らは近代兵器をもたなかったので、斧や鎌、こん棒といった身近なもので虐殺を行ったが、この事件による死者は 50 万人以上といわれている。

この事件後まもなくして FRP が首都に侵攻し、政権を奪回した。報復を恐れたフツ族は大量に隣国に逃げ、難民の数は二百数十万人に及んだ。ルワンダの人口は 800 万人余りであるのでその約 3 分の 1 が難民となったわけである。

現在のルワンダ、そして周辺諸国

現在はフツ系住民は難民キャンプへ逃れツチ系住民は国内に戻り、ルワンダは少数民族が多数派民族を支配する国となっている。今でも多数派フツによる反政府活動は続いており、この紛争が解決に向かう兆しはまだない。

また、同じくベルギーから独立しツチがフツを支配する国、ブルンジでも、両部族の抗争はあとをたたない。72 年には 15 万人もの死者を出したのを筆頭に流血事件が続発している。88 年のツチ族兵士によるフツ族住民の大量虐殺事件を境に、ツチ族出身のブヨヤ大統領は両部族融和を目標とする政策を打ち出したが、国内の経済不振や対外債務危機などによりフツ族の不満は高まっており情勢は悪化している。

さらに現在、この紛争は隣国ブルンジ巻き込んでそしてザイールにも飛び火しているのである。

アフリカの紛争